日本的な“個性“の育て方と西洋的な“個性“の育て方について。
私たちアラフォー世代が学生時代の時に“個性“が大事だと言われ始めまして。
ゆとり教育などがうまれたのはこの辺の時代だったと記憶している。
いろいろ批判はありましたが確かに世の中全体の雰囲気というか空気が詰め込み教育に対しての風当たりが強かったと記憶している。
今回の話のテーマは“個性“!
個性ってどうすれば育まれるんでしょうか?
そもそも個性は育てる事が出来るのか?
その辺を自分が身を置いたスポーツや武道の世界で行われてきた事。そんな話を書いていこうと思う。
まずものすごいザックリだけど。
私の中では日本的っぽい教育と西洋的っぽい教育と大雑把に言っているものがある。
日本的な“個性“の育み方は。
まずは型があったり師匠の動きを一寸たがわず「真似る」事から始める。
「学ぶ」という言葉は「真似る」が変化して出来たという説もあります。
そうすると体型や体のくせなどの違いからどうしてもハミ出してしまう部分がある。
押さえつけようが抑圧しようが滲み出てしまう。
むしろ押さえつけたり抑圧するからこそより顕在化するもの。
それが個性だと。
ザックリこんなイメージ。
対する西洋的な“個性“の育み方は。
もちろんある程度の方向性示しながら自由に楽しんでいく。
そして失敗や反証を重ねながら学んでいく事で。
個性を育んでいく。
ある意味失敗を許容する文化が必要なのかなとも感じる。
本当にザックリわけるとこんな感じかな。
日本的と西洋的と分けたのは私の主観にしか過ぎないし。
白黒ハッキリとアナログに分かれている訳ではなく。少しグラデーションだ!
そしてこれはどっちが良いとか悪いとかはなく。
ただ抑圧するだけで押し潰してしまう「日本的」では“個性“の芽は積まれてしまう。
放任するだけの「西洋的」では“個性“の種が撒かれる事はない。
先生と生徒の相性もあるだろうし出会うタイミングもある。
その人にとって合う形も千差万別だ。
今回は“個性“についてダラダラと書いてみましたが。
まあ人が人に何かを教えるというのは。
難しいし正確がないなと思ったりする。
それが面白くもありやりがいがあるとも感じるけど。
みなさんはどう思いますか?
0コメント